日本語はあまり "can" 的思考をしないのかもしれない
日本語は "can" 的思考より、 "should" 的思考に重点が置かれているのではないか、レストランで親が子供を注意しているところを見てそう感じました。
「 can 的思考とか should 的思考とか訳わからん」と思います。何が言いたいかというと「あなた個人ができるかどうか、よりコミュニティーの雰囲気やルールが優先される」日本の傾向が日本語にも反映されている、ということです。
もっと噛み砕いて説明するため、まずは can と should の使い方を簡単におさらいして、なんで日本語は can 的ではなく should 的なのか考察したいと思います。
- can は1.「能力があり『できる』」 2.「状況が許すので『できる』」
- should は「状況的に『するべき』」
- ファミレスで子供を叱るお母さん「走らない『よ』」「走り『ません』」
- 自分の意思をあまり前面に出さないとされている日本語
can は1.「能力があり『できる』」 2.「状況が許すので『できる』」
can は主に2つの意味に置いて用いられます。
1つ目は「能力があって『できる』」ときです。
I can run fast.
速く走れる
この人に速く走れる筋力が備わっているから速く走れるのです。
2つ目は「状況が許すので『できる』」ときです。
You can swim in the sea.
この海で泳いでいいですよ
この人が泳げる泳げないは関係ありません。「この海では」泳いでいい、つまり状況が許すので海で泳ぐことができることを表しています。
A: Can I use your phone?
電話借りていい?
B: Yes you can.
いいよ
これもあなたが電話の使い方を知ってる、つまり電話を使う能力があるかどうかは関係ありません。状況、この場合は携帯の持ち主が許可するかどうか次第であなたが電話を使えるかどうかが決まります。
can の使い方としてまずこの2つを頭に入れておいてください。
should は「状況的に『するべき』」
一方 should は「状況的に何かを『するべき』(否定形『すべきじゃない』)」ことを伝えるときに使います。
I feel cold. Maybe I should go to the hospital.
熱っぽいから病院に行くべきかな
You shouldn't play loud music at night.
夜は大音量で音楽をかけるべきじゃない
should は、いわゆる「常識的に考えて〜すべき、すべきじゃない」ことを表します。余談ですが must と should の使いわけの基本は
・ must →言い手の主観
・ should → (言い手が思う)言い手の客観
です。つまり「これは俺の意見だーー!」を前面に出したいときは must 、「これは世間の声だーー!」という思いを伝えたいときには should を使う傾向にあります。
何はともあれ should を使うときは、(その人が思う)「状況的にはこうすべきだよね」とか「世間はこう考えるよね」というイメージを伝えるときです。
ファミレスで子供を叱るお母さん「走らない『よ』」「走り『ません』」
can not の感じを日本語で言うとどうなるでしょう。「〜しちゃだめ」や「〜できない」と言い換えるのが一番自然な気がします。
そして should not の感じはというと「〜しないよ」や「〜すべきじゃない」が自然な日本語訳です。
例えば電車の中やレストランで走り回っている子供がいたとします。英語だと
You can't run here!
走っちゃダメ!
と言いそうなものです。
ただ私がファミレスで見かけたお母さんたちは
「(レストラン内では)走らないよ」とか「走りません」と諭していました。これはつまり「ここは世間的には走ることを良しとされていない場所です」という気持ちが言葉に現れているのではないでしょうか。
自分の意思をあまり前面に出さないとされている日本語
日本語は言い手の意思をあまり前面に出さない、と言われています。だから自分が主語に来ない受け身の形や主語に物を使いやすい自動詞、そして人が主語のときはそれを省略することが多いのです。
・自動詞
The TV broke. ← You broke the TV.
テレビが壊れた ← あなたがテレビを壊した
・主語の省略
Did you break the TV?
(あなた)テレビ壊した?
can 的な思考、つまり「あなたには能力がある!」や「ここは絶対にこれをしてはいけません!」と伝えるのはいささか自分の意見が前面に出過ぎます。
一方 should 的な思考、つまり「世間ではこう!」や「状況を考えるとこうするのが普通だよね」と伝えると自分の意見を世間の声の背後に隠すことができます。
言語ごとに国ごとの状況や文化など様々な違いがあり、それがもちろん言葉にも少なからず影響を与えています。
このことを考えると、自然な表現を身に付けるためにはその国に住んでみる、とかドラマや映画などのコンテンツになるべく多く触れることもまた積極的に取り入れるべきでしょう! should 的な締め括り。